ALPINE GUIDE Tsutomu Sugisaka
アルパインガイド 杉坂 勉
(社)日本山岳ガイド協会認定上級登攀ガイド

ジャパン・アルパイン・ガイド組合(J・A・G・U)所属
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2008年海外氷河研修

2008年6月23日〜7月4日
フランス・シャモニ モンブラン山群
                  研修概要 日本出発から自主トレ、氷河研修終了までの流れ

 シャモニでの氷河研修も、これで2年目。思えば去年は初めてのヨーロッパ、初めての海外研修と言うことで、本場の雰囲気と、悪天候に悩まされ、何がなんだか分からず、自分自身の中で整理が付かないまま、過ぎ去っていった。しかし、そんな中でも収穫がなかったわけではない。今まで部分的に曖昧だったショートロープ(ガイドが使う、コンテニアスクライミング技術のひとつ)技術の仕組みが少し理解でき、やっていても自信がもてるようになった。そして帰国してからのガイディングに大いに役立った。また、一日のガイディングの組み立てがうまくいくようになり、行動自体に余裕が持てるようにもなってきた。
 しかし、国際ガイドの検定試験でもあった去年は、結果的には不合格。これまでの、国際ガイドに対する自分自身の考え方、行動などが、かなり甘かったことを、自覚させられた研修でもあった。
 そんな中で、今回2度目の研修を受けたわけだが、はてさて結果はいかがなものか?今回の研修を受けての僕に対する評価は、まだ出ていないが、僕自身としては、またまた新たな発見と経験の連続だったので、報告いたします。

                      

 今年の研修では、自身、国際ガイドを目指す身として、恥ずかしくないよう己を高めることに目標を置いた、そこで、研修前にも自己研修として、同じ氷河研修を受ける北海道の石坂君と二人で、モンブラン・フレネイ中央岩稜登攀という、壮大な計画を立てて出発した。石坂君とはお互い、忙しい時間をさきながら、去年の冬から国内でも自主トレを積んできた。
 
 日本出発は6月12日。シャモニ着は同12日の夜。13日は、保険の加入や、ロープウェーの割引券購入、買い物など雑用をこなし、やはり同じく研修を受ける白馬の山岸君も加え、14日から行動開始。18日からは北海道の佐々木君も加わり、総勢4人でのトレーニングとなった。
 
 目標だったフレネイはというと、今年も去年と同様、山には雪が多く残り、とても登れる状態ではない。フレネイばかりかモンブラン山群周辺でのクライミング自体が不可能なくらい、3000m以上での山の状態は悪かった。また、天気も始めの1週間は毎日悪く、よって、僕らの自主トレも、もっと標高帯の低いところで行わざるを得なかった。それでも佐々木君が合流する頃には回復し、登山靴でのクライミングを中心に、そこそここなすことは出来た。そして、最後はミディー南壁のコンタミンルートを登攀。オールフリーでのオンサイトを狙ったが、核心の6Cでフォール!残念ながらオンサイトは出来なかった。が、僕自身にとっては、ここに来て始めての高グレードでのクライミング。オンサイトはならなかったが、ヨーロッパの高所でのクライミングを感じる良いクライミングだった。

 さて、自主トレも無事切り上げ、23日からはいよいよ本番の氷河研修に突入。ここからは松本の中島君も参加し、研修生は全部で5人。そこに教官の長岡さんも含めて、日本の研修チームは全部で6名になった。
 当初、日本のガイド協会へ、ぜひENSA(フランス国立スキー・登山学校)の教官をを呼んで欲しいと要望したのだが、結局それはかなわなかった。僕らの技量では、それはまだまだ早いということなのだろうか?
 
 ともあれ、総勢6名で研修スタート。天気は、昨年とは比べ物にならなくくらいの晴れ続き。ところが相変わらず、山には多く雪が残り、予定通りの研修を行うのはなかなか難しく、毎日皆で翌日の研修場所について、討議しながらの進行となった。研修内容は、概ね登山靴でのクライミングと、ショートロープ技術の向上を中心にし、場所もそれに見合うところを、現在研修可能な範囲で選定した。
 毎日の研修後には、長岡教官を中心にミーティングを行い、毎回毎回新たに出てくる問題点や、疑問点を皆で討議する。去年よりは出来が良いとの講評を得るが、それでも問題点は不思議なくらい、毎日湧き出た。やはり僕らの最大の課題は、いかにショートロープを無駄なく、安全に早くこなすかというところに収まった。
 そして研修前半のヤマバは、なんと言ってもダン・デュ・ジアンとグランカピュサン。前者は雪稜から岩稜帯、最後は180mの岩峰の登攀という、変化に富んだ内容で、主にショートロープでクライアントをガイディングする研修。後者は、モンブラン・タキュールの側壁に聳える450mの岩壁。スイスルートやボナッティールートなどこのあたりでは、人気のルートがある。こちらは、自分達の登攀能力を高めるための研修だ。僕自身も、このグランカピュサンの研修を、一番楽しみにしていた。そしてこれを、イタリア側のトリノ小屋での1泊をはさんで行った訳だが、ダン・デュ・ジアンでは、ショートロープやクライアントの誘導の仕方など、いろいろと学ぶところがたくさんあった。またグランカピュサンでは、混んでいるルートでのこなし方や、純粋に難しいピッチでのクライミングと、やはり期待したとおりの興味深い内容だった。
           

 研修後半も残雪の影響は大きく、予定していたルートでの研修が思うように出来ない。また、残雪の影響で、営業を再開していない山小屋もあり、グランドジョラスへの縦走は見送られることになった。またこの頃より、午後になるとにわか雨も頻繁になり、落雷の危険も出始めるようになった。雷は、去年の自主研修、モアヌ南稜でも味わった。かなり怖いものだ。結局、日帰りを中心に、研修場所を選定する他なくなり、思った研修は出来なかった。
 それでも終わってみれば、全日程行動!その前の自主トレを含めると、およそ3週間登りっぱなしという感じで、研修後半には、疲れもどっと出始めた。何せ、今研修中、長岡教官を除き、研修生のなかで最年長。40歳は僕一人。一番最年少の佐々木君とは10歳の年の差がある。研修終盤に行ったタイムトライアル(岩稜帯を走って往復するハードな研修だった)では、なんと一番ビリ・・・。それでもそこに、ショートロープをやりながらのタイムトライアルなど、技術系の要素が入ってくると、そこそこ早いのだが、純粋な体力では、皆に付いていくのがやっとだった。自分の体力の低さに少々愕然。しかし、ここであきらめては何のためにもならない、この日は、とにかく歯をくいしばってがんばった。
 こうして僕等の氷河研修は全日程終了。皆大きな怪我も無く、無事に研修を終えることが出来た。自分達ではどうすることも出来ないが、やはり天気が研修全体に与える影響が大きいことは、今回身にしみた。天気さえ良ければ、毎日だって動くことが出来る。それこそ、最後にはぶっ倒れるくらい!実は、本当にぶっ倒れてしまった。研修最終日頃から、どうも体調が良くない。何とか全日程こなしたが、終わったとたん、熱が出て寝込む始末。結局、研修後に皆で行こうと予定していた、ラ・メージュの登攀には、参加することが出来なかった。

                        今回の氷河研修で何を感じ何を学んだのか?
 さて、このように今年の氷河研修は、充実の2週間を経て終了したわけだが、僕は一体今年の研修で何を学んだのか?さすがに自主研修を含め、3週間もぶっ続けで行動したので、いろいろなことがあり、そして様々な人たちの話も聞くことが出来た。その中で、僕が感じ、思ったことは2つ。まず、改めてガイドという職業に対し、真摯になるということ。そして真の国際ガイドになれたとき、自分はメイドイン・ジャパンだということに誇りを持ち、胸を張って言うこと。

ガイドという職業に対し真摯になること
 僕は山のガイドという職業に憧れ、悩みながらもそれになることを目指し、国内限定というライセンスではあるが、ガイドになり、そして今、国際ガイドを目指している。もともと勉強があまり好きではなかったせいもあり、学歴社会に不満を持ってはいた。だから将来は、ネクタイを巻き、学歴で出世するような職業には就きたくなかった(今現在は、ネクタイを巻いて仕事をする社会でも、実力社会になってきているようだが、僕が学校へ通っている時代には、まさに学歴社会と呼ばれていた。)。とにかく手に職を付け、自分の腕で世の中を渡っていきたいと思っていた。よって将来は、職人といわれるような職業に就きたかった。

 しかし、一体どんな職業に就くのか?その頃の自分には、何のビジョンもなく、また、憧れるような職業にも出会うことはなかった。高校を卒業し、漠然と大学へ入り、ただなんとなく、毎日をむなしく過ごしていた日々。山に出会ったのは、そんな頃だった。それはまったく新鮮だった。まるで乾いたスポンジにどんどん水が吸い込まれるような感じで、登山という行為は、あっという間に僕の中に浸透していった。そして、すばらしい先輩方との出会い。そのすばらしい先輩方の職業こそが山岳ガイドだった。
 こうして、劇的に山岳ガイドという職業に出会い、憧れ、以来目指してきたわけだが、偉大な諸先輩方の経歴が、あまりにも凄すぎるがために、「あんなふうに、凄い山登りが僕に出来るだろうか?」「こんな僕が、ガイドなんかを目指しても良いのだろうか?」などど、思い悩むことにもなった。これは、僕の悪い癖というか、気が小さいがためというか、あまりにも高すぎるハードルのために、登山というものに対し、しり込みをすることが多くなってしまった。だから、いまだに僕にはたいした登攀歴もないのだ。ただ、言い換えれば、ガイドという職業を、真摯に捕らえていたということになるのかもしれない。
 それでも時は進み、偉大な諸先輩方の死というものに直面し、更に時は進んで、そして運命と言うような感じでガイドになった。今現在の自分自身はどうなのだろうか?確かに、憧れていた職業に就くことは出来た。それも、運命的な出会いで。そうまでしてなれた職業なのに、やはり実際に始めてみると、現実ということに直面してしまう。仕事が無ければ、お客さんがつかなければ、お金が入らない、お金が入らなければ、生活が出来ない。そこで必死にHPをつくり、パンフを印刷し、お客さんをどうにか増やそうと必死になる毎日。そこには華やいだ憧れや、希望などは、なかなか入り込む余地も無く、そのために少々ジレンマに陥るようなこともしばしば。一体、ガイドになろうと、憧れ、希望に心をときめかせていた自分は、どこに行ってしまったのか・・・。

 しかし、そんなときにも救いの手というものはあるものだ。まさしく国際ガイドへのチャレンジは、僕にとって救いの手だったのだ。そして去年、初めてガイドの、そしてアルピニズムの本場ヨーロッパを舞台に、研修を受けたわけだが、またしても僕は、見るもの聞くものに、圧倒されてしまった。自信に満ちた現地ガイドの姿、すばやいロープワーク、登山靴でもすいすい登ってしまう優れたクライミング能力。また、モンブラン山群の山々も、圧倒的なスケールでそそり立ち、ぎゅっと凝縮して連なっている。まさしくアルピニズムのメッカであり、聖地。ここをガイドするのは、プロ中のプロ、職人だ!ここを正々堂々と、自身を持ってガイドしたい!僕の中に再び、ガイドという職業に対する情熱が湧いてきた。
 しかし、この圧倒的であり、すばらしいフィールドに直に接し、また自らの手足でよじってみると、こうも思えてくる。ここは、誰でもガイドできる訳では決してない。ここは、ふさわしい人のみが、正々堂々、自信を以てガイドするべきところだ!そして、ヨーロッパのみならず、世界各地のすばらしい山々は、それにふさわしい人のみが、自信を以てガイドするべきである!と。そして、ガイドになりたいのなら、自分自身を鍛錬し、その大自然の前で自分自身をさらけ出して、審判を受けるべきだ。はかりにかけられるべきだ。

 たしかに僕も国際ガイドになりたいし、なるべくして努力はする。しかし、もし自分がそれにふさわしい存在ではないのなら、僕は、国際ガイドになるべきではないと思う。もちろん、ふさわしい存在となるために、これからも益々、自らの腕を磨き、経験を積み、精進していくつもりだ。また、ふさわしい存在となるために、豊かな知識と、人柄にも精進を重ねていきたい。そのために、今一度僕は、ガイドという職業に対し、決して飾ることなく、おごることなく、真剣な気持ち、真摯な態度で臨んで行きたい。これが今回の研修のなかで、僕の心に生まれた気持ちだ。

                      


 メイドイン・ジャパンを誇りに
 確かに今現在、日本のガイドのレベルは世界の最先端には程遠い。それは、ここシャモニで実際に山に登り、人々と触れてみて実感として伝わってくる。日本のガイド界は、ヨーロッパのそれが100年以上の歴史の積み重ねに比べれば、今まさにその歴史をスタートしたといっても過言ではないくらいだ。だからこちらのガイドと比べられては、豊富な経験に裏打ちされたルートを見る目、そしてロープ操作やクライミング能力、ガイディングのスピードなど、全てにおいて見劣りしてしまうのも当然だと思う。
 またそれらは、モンブラン山群周辺のように、四方に広大な広がりを見せる氷河を持ち、そのどん詰まりに、あるいはその両脇に、およそ400mを越えるような、そして聳え立つような岩壁群を、各々2000mラインから3000m、そして4000mと、幅広い標高帯にズラリと揃えたような、クライマーから見れば、よだれの垂れるような、すばらしい環境のなかで培われてきたものなのだ。こんなことは日本国内だけでは叶うはずも無い。育ちの差といわれてしまえばそれまでだが・・・。
 
 しかし我々日本人の先人達は、過去の歴史、特に戦後の混乱期の中において、例えば車や電化製品の世界でも、当初日本製品は世界から馬鹿にされた時代があるのだ。それを、日本人の特長とも言うべき勤勉さと直向さで努力し、進歩し続け、そして今や、日本製品は世界のトップクラスにまで上り詰めたのだ。登山の世界だって過去において、いくつかの世界的な記録を打ち立てたり、初登攀を行ってきている。
 だとしたら、その子孫である我々にだって、ガイドという職業に誇りを持ち、勤勉さと直向さで努力し続け、経験を積み重ね、そして進化し続けていくことで、世界でも屈指の技術と経験を有するガイドにだってなれるはずであるし、また我々はそうなれるよう、精進を重ねていくべきだと思う。ヨーロッパのガイドの歴史だって、一夜にして出来たものではないのだ。我々日本人ガイドも、今後に続く後輩達のためにも、気の遠くなるような、長い長い茨の道を歩き出さなければならないのだ。

 さらに、日本の山岳特有の特色を背景に、技術的なレベルを高めていく可能性もあると思う。例えば、ガイドの技術に、ショートロープというものがある。これはコンテニュアンスでのロープワークだが、習得するにはかなりの練習と経験が必要であり、あまり一般的とは言いがたい。いわゆるガイド特有の技術であり、これがガイドの腕の見せ所的なものだ。このショートロープ技術、確かに習得すれば、かなりスピーディーに行動が可能であるし、ギアの数も減らすことが出来る。しかしこれは、ヨーロッパの花崗岩特有の、縦に摂理の走った岩で、ピナクルの連立するような環境で発展してしたものであり、同じ花崗岩でも日本のようなのっぺりとし、ピナクルもあまり無いような岩場では、かなり難しい技術となる。つまり、日本でヨーロッパのオリジナルそのままショートロープを行うのは、かなりの技術を要するのだ。だとすれば、ヨーロッパ伝来のショートロープ技術を日本の山岳の中でさらに発展させ、日本風にアレンジすれば、ヨーロッパのみならず、それ以外の海外の山でも通用するような、優れた技術に進化するのではないだろうか?

 こんなにガイドという職業に対し、真剣な気持になれたのは、ガイドになると決めた時以来かもしれない。これも、モンブラン山群を舞台に、たくさんの人と出合、一緒に山に登り、良い研修を受けたからだと思う。
 私にとって国際、いや、ガイドの修行はまさに今始まったばかり、この経験を今後に生かし、自分自身の中で熟成させ、私にガイドを依頼してくれるお客様方に、心から喜んでいただける山行をサポートできるよう、一層の努力を積み重ねて行きたいと思う。そして何時の日か、世界の山々で、「日本のガイドもなかなかやるな!」と世界に言わしめるように、その時には「私はメイドイン・ジャパンだ!」と胸を張って、そして誇りを持ってお客様をガイドできるように、自分自身の人間性も含め高めながら、私の、私自身という山を登り続けていきたいと思う。


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